秦の滅亡と「皇帝」の変質

執筆者:岡本隆司2018年5月12日
始皇帝崩じて兵馬俑は残したが……(C)AFP=時事

 

 始皇帝に関しては、専門的な研究も一般的な読み物もおびただしい。「皇帝」という新たな君主号にも、必ず解説がある。だから「皇帝」がなぜそうした字面・表記になって、どんな意味を含んでいるかについては、どの本にもくわしく書いてあるし、筆者にとりたてて異論があるわけでもないので、いっさい省略としたい。

 むしろここでは、「皇帝」として、始皇帝本人がどのような言動をしたか、せねばならなかったかに注目しよう。以後の「皇帝」号の意義に関わるからである。

新称号で新時代を開く

 その始皇帝はどうやら、新しい時代の開幕を企図していたらしい。その新政体は、君主号のみならず、体制をほんとうに一新しようしたものだった。当時最先端の政治思想だった法家の制度設計にもとづき、全面的に周時代の封建制を否定した官僚制国家の樹立をめざしたからである。

 度量衡や規格の統一、文字の統一、郡県制の普及、首都と地方を結ぶ道路の建設など、すべては戦国時代の列国の割拠を解消し、多元的な世界だった中国全土を一元化するための施策だった。

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