漢王朝の「天下」――皇帝の確立

執筆者:岡本隆司2018年5月26日
始皇帝が崩じた後の混乱を制し、「皇帝」に即位した漢の高祖劉邦
 
 

 項羽との苦闘の末、勝利した漢王の劉邦が、紀元前202年、「皇帝」に即位した。そのため劉邦の「皇帝」は、歴史的制度的には、始皇帝よりもむしろ「義帝」の後継と考えたほうがよい。数ある「諸侯王」がすでに存在し、かつその推戴によって即いた位だからである。

劉邦の「皇帝」即位

 劉邦は項羽から覇権を奪った。だからこの時点では、「覇王」の項羽がそうだったように、その覇権と「皇帝」の称号とは、必ずしも一致していない。劉邦も「漢王」のままだったし、本人もどうやらそのつもりだった。

 しかし劉邦から「王」号を授けられた功臣の「諸侯」は、覇権を有する漢王と自分たちとを区別すべく、「尊号」を上(たてまつ)ったのである。ここで中国全土の覇権と「皇帝」の称号が1つになった。

 とはいえ、それはあくまで「諸侯王」の推戴であり、かつその意向によるものである。そのなかには、韓信や英布、彭越など、必ずしも劉邦に心服せず、しかも軍事力で勝るとも劣らない「王」たちがいた。自分と、「諸侯」に対する覇権と、「皇帝」とをほんとうに一体不可分とするために、劉邦はあらためて、対立者たるかれらを凌ぎ、自らの権力・立場を確立しなくてはならない。異姓諸侯のとりつぶしは、その意味で必然だった。

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