まことの弱法師(26)

執筆者:徳岡孝夫2018年5月27日

 赤ん坊を抱いて妻は長居の府営住宅に帰ったらしい。電報に毛の生えたような手紙だが断片的な育児報告が私の手元に届き始めた。戦後の日本人が一心不乱に人口を増やしていた時代なので、今日では想像もできないことが書いてあった。

「お天気のいい日は団地は満艦飾です」という形容は今の日本人に通じるだろうか。

 私が「帰国時にアメリカで何を買って欲しいか」としつこく聞くものだから妻も考えたようで、乳母車を買ってくださいと言ってきた。私は面くらった。

 船で帰るから乳母車くらい持って帰れないわけではないが、留学土産にはどう考えても不似合いである。私は室友ロスに相談した。

「とにかく、いくらくらいするものか、値段を訊こうじゃないか」

 というわけでロスと私はシラキュースの下町の赤ちゃん用品店に偵察に行った。町に1軒だけの乳幼児用品専門店である。乳母車は、あった。

 私もシラキュースにくる途中NYマンハッタンのセントラルパークで船型の乳母車を押していく母親を見たことがある。「あなたがこの赤ん坊を産んだんですか」と訊きたくなるほどスラリと痩せた母親の散歩は美しい風景だった。日本では、いわゆるショッピングカーが行き渡り、母と子がヘイタイ、ススメと同じ方向を向いて進軍している。できれば船型の乳母車を持って帰りたい。

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