特殊金融機関「外資金庫」の秘密

執筆者:野口悠紀雄2018年6月1日
(C)AFP=時事

 

 軍票の乱発により、占領地域で激しいインフレが発生した。

 1936年(昭和11年)の年平均を基準にした卸売物価指数を見ると、北京では1943年3月に10倍以上になり、1944年末には50倍に近づいた。上海では、1941年秋に10倍を越え、1943年末には100倍を越えた。そして、1944年末には1000倍に近づいた。シンガポールでは1944年末に1941年末の100倍を越した。

 これに対処する方法として本来取られるべきは、公定為替レートの切下げである。しかし、日本政府は、そうしなかった。なぜか? 『昭和財政史』第4巻(p369)の説明は、つぎのとおりだ。

「大東亜共栄圏」を表看板にしていた当時の日本帝国政府としては、そのような方法をとることは政治的配慮からして実行しにくいものであった。というのは、そうした形で現地経済を露骨に搾取することは、「同甘共苦」を建前とする「八紘一宇」の精神には、あまりにもふさわしくないと考えられたからであり、またそれが従来の経済政策の完全な破綻を公認する結果になることをおそれたからであった。

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