軍票の乱発により、占領地域で激しいインフレが発生した。
1936年(昭和11年)の年平均を基準にした卸売物価指数を見ると、北京では1943年3月に10倍以上になり、1944年末には50倍に近づいた。上海では、1941年秋に10倍を越え、1943年末には100倍を越えた。そして、1944年末には1000倍に近づいた。シンガポールでは1944年末に1941年末の100倍を越した。
これに対処する方法として本来取られるべきは、公定為替レートの切下げである。しかし、日本政府は、そうしなかった。なぜか? 『昭和財政史』第4巻(p369)の説明は、つぎのとおりだ。
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