まことの弱法師(27)

執筆者:徳岡孝夫2018年7月1日

「今日も朝子さんがみえ、いろいろ教えてくださった」と何度も妻からの手紙にあった。朝子さんは私の幼稚園の同期生で、偶然に知り合った磯村隆文君と結婚して1男1女をもうけた人である。顧みれば朝子さんと私は妙な縁に結ばれている。

 朝子さんと私が育った阪急沿線・西宮北口駅近くの住宅地からは今津線という支線が延びている。神戸女学院・関西学院・小林聖心女子学院・宝塚音楽学校とハイカラな学校が沿線につながっている。朝子さんは聖心へ行ったが幼稚園の頃私とよく遊んでいた。兄さんがいて、ある日私に空気銃を1発撃たせてくれた。

 ポンと軽い音と反動があって中空へ飛んでいった銃弾、私は今も覚えている。

 戦争が始まり、終わってから2年か3年、幼稚園の同窓会をしようという話が持ち上がった。朝子さんは大阪・北浜のアメリカ文化センターに勤めているという。私と同級生2、3人が会いに行った。朝子さんが奥のオフィスから出てきて「その日は都合が悪い」と断った。そのとき、やはり奥から磯村君が現れ「おう徳岡」と声を掛けた。私はびっくりした。

 終戦後3年目。朝日会館で青少年向けの勉強会があった。私の隣の席にいた磯村君が膝に面白そうなタイトルの本を置いている。

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