並立する君主

執筆者:岡本隆司2018年6月23日
陳寿『三国志』「蜀書」に記載の、劉備の伝記「先主伝」。正史では「伝」にせざるを得なかった(国立国会図書館蔵)

 

 3世紀からはじまる動乱の時代を、中国流の漢語でいえば、「三国六朝」という。漢王朝が滅んだ220年あたりから、日本でもおなじみの隋・唐がはじまる6世紀末から7世紀はじめにかけて、多くの政権が併存対立し、相剋する時代であった。

天子と皇帝

 われわれはともすれば、この時期を分裂時代と称しがちである。「分裂」とは、1つのものが分かれることで、「天下三分」というフレーズも変わらない。唯一の「天下」が三つに分かれた、という意味だから、そこには「天下」とは1つであるべき、統一体であらねばならない、とする特定のイデオロギーが存在する。

「天」「天下」は1つであるから、だから「天子」も、地上で1人しかいないはず。それが儒学の「天下」秩序の理念でありドグマである。理念的・理論的に単一であらねばならなかったから、形式・儀礼の上で統一した権威が作りあげられた。

 しかし現実の統治は、そうはいかない。実効支配が及ぶ範囲は、必ず有限である。それは支配者・権力者を「王」と呼んでも、「皇帝」と称しても、選ぶところはない。

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