灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(2)
2018年6月30日
第1章 妾腹の美少女

まだ髷を結っていた頃の藤原あき。正確な撮影年は不詳。この後、あきは波瀾万丈の人生を送ることになる(自伝『雨だれのうた』(酣燈社)より)
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わたしは子供を産んでも処女だったわ――。
明眸皓歯(めいぼうこうし)の表情をきかせ、後年、藤原あきは自分の半生をこう回想している。
個人の自由や権利など主張することが出来ない封建的な世の中で、ましてや若い娘の意志や夢などに誰が耳をかしただろう。
明治維新から世の中が大きく変わりつつあっても、あきが生まれた明治30(1897)年という時代はまだ、娘は家長や親せきが決めた家に嫁いでいかねばならなかった。
それでも家同士が敷いた路線にうまくのり、お互いが幸せな結婚や家庭を築くことが出来る場合も少なくない。
それに、食うや食わずの貧しい世の中で、若い娘は兄弟のめんどうや、家計を助けるために奉公にでたりする。
器量好しで気がきく娘なら芸妓になるため幼い頃から置屋に身を売られるか、あるいは遊女に身を落としたとしても、それはむしろ親孝行として家計を援助する行為と受け止められた。そして、いつの日かよい旦那にみそめられ身請けされれば、家族や縁者にとってはさらに誉れだ。
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