6月6日に北京で死去した、新儒家の霍韜晦さん(『百度百科』HPより)
 

 

 6月6日、北京で霍韜晦さんが亡くなった。享年78。

 霍さんの名前を聞いたことのある読者は、おそらく皆無に近いだろう。なぜ北京でという疑問はひとまず後回しにして、霍さんの思い出を綴っておきたい。

 初対面は、私が香港の中文大学新亜研究所に留学した翌年の1971年の半ばではなかったか。霍さんが京都大学か大谷大学の留学から戻ってきた頃だと思う。廊下を挟んで斜め向かいの研究室に押しかけては、質問やらムダ話で時間を過ごしたものだが、もちろん霍さんが私の研究室の戸を叩くことはなかった。本来の研究を忘れ、京劇に現をぬかし芝居小屋に日参しているような日本人学生に、尋ねることなどあろうはずがなかったに違いない。

 私より7年早い1940年の生まれだから、当時は31歳前後。小柄で痩身ながら悠然とした立ち居振る舞いからは、老成した学者の雰囲気が漂っていた。中国の文人とはかくあるものと感動すら覚えたものだ。

 生まれは広東省の省都である広州で、10歳になるかならない頃に中華人民共和国建国を迎えている。広州市第二中学で学んだ後、香港に移り新亜研究所に入学した。どのような理由で広州を離れ、どのような経路で香港に辿り着き、貧しく混乱していた時代の香港ではどのような青春の日々を送ったのか。思いだしたくもない辛い生活であっただろうことが容易に想像できるだけに、敢えて尋ねることはなかった。

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