統一と解体

執筆者:岡本隆司2018年7月7日
唐王朝を中絶させ、女帝として君臨した則天武后。自らを仏教における至上の王「金輪王」になぞらえた

 

 ひとり「天王」の事例をあげよう。前秦の苻堅である。当時たくさんいた天王の中では、めずらしく皇帝に即位しなかった。できなかった、といったほうがよい。

 それなら偉大ではなかったのか、といえば、さにあらず、五胡十六国のうち最も名君の誉れ高く、勢力を張った君主だった。五胡諸族を従えて華北をまとめ、江南半壁を保っていた東晋に挑戦したのである。そんなことができたのは、この時代、苻堅だけだった。

南北の相剋

 東晋とは、洛陽・長安で晋王朝が滅んだあと、その一族が南方に流寓してできた政権である。「三国」時代の呉・蜀の旧領にたてこもって、正統の天子・皇帝を自称しつづけた。中原の多くの名家・貴族が随従し、その政権を支えていたから、胡漢の相剋は南北の対立とも重なり合っていたのである。

 苻堅はこの東晋を討って、中国全土を統一しようとした。統一事業を達成し対立者がいなくなってから、天王から皇帝にのぼりつめるつもりだったのであろう。そこから、天王は対立の優越者、皇帝は天下の唯一者という含意・構図がわかる。

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