「純粋な祈り」に導かれた1万年の変遷「縄文の美」
2018年8月13日
「縄文土器の荒々しい、不協和な形態、紋様に心構えなしにふれると、誰もがドギッとする。なかんずく爛熟した中期の土器の凄まじさは言語を絶するのである」
芸術家・岡本太郎は縄文土器を目にした際の衝撃を雑誌『みづゑ』(1952年2月)の「四次元との対話―縄文土器論」にこう記している。岡本は長くヨーロッパに暮らした後、帰国。日本で見る「伝統」と呼ばれる文化の弱々しさに失望していた。
「その私が思わずうなってしまったのは、縄文土器にふれたときです。からだじゅうがひっかきまわされるような気がしました。やがてなんともいえない快感が血管の中をかけめぐり、モリモリ力があふれ、吹きおこるのを覚えたのです。たんに日本、そして民族にたいしてだけではなく、もっと根源的な、人間にたいする感動と信頼感、したしみさえひしひしと感じとる思いでした」(岡本太郎『日本の伝統』光文社)
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