「土偶」で再確認する日本人の三つ子の魂「縄文信仰」
2018年8月14日

2015年、長野県信濃美術館に展示された土偶「縄文のビーナス」(左)と「仮面の女神」(右)(C)時事
今、縄文時代が見直されつつある。「縄文」がブームだという。
長い間、縄文人は野蛮人扱いされてきた。狩猟生活に明け暮れた原始人のイメージで語られ、縄文土器や土偶の造形にしても、むしろ稚拙な表現と見下されていたものだ。また、「日本人は稲作民であり、先祖は弥生人(渡来系)」と信じられてきた。だが、この考えも改められつつある。
考古学の進展によって縄文人の予想外の先進性が明らかになった。太陽の塔で知られる岡本太郎が縄文の芸術性を発見してから、徐々に、縄文文化に対する評価も、変わりつつある。
日本人の三つ子の魂は、約1万年続いた縄文時代に育まれた可能性も高くなってきた。縄文時代の信仰や発想は、途絶えていなかったのだ。たとえば、縄文土器や土偶の造形の中に、その証拠が隠されている。
「再生のシンボル」
そもそも、なぜ縄文土器に縄の文様が施されていたのだろう。
「縄は、蛇」というのが、考古学者や民俗学者の共通の認識だ。オスとメスの蛇がからまった交接状態を縄の文様で表しているという。結界を示す標縄(しめなわ)も、同じ発想だ。蛇そのものの形が、土器に描かれてもいる。
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