真の「国連人」だったアナン事務総長

執筆者:鈴木一人2018年8月23日
2006年9月19日、国連総会で事務総長として最後の演説を行ったアナン氏 (C)AFP=時事
 
 

 8月18日に亡くなったコフィー・アナン元国連事務総長は、出身こそガーナ(旧イギリス領ゴールドコースト生まれ)だが、大学はアメリカのマカレスター大学経済学部、修士号はMITで取得し、その後WHO(世界保健機関)の行政・予算担当官として勤務し、国連本部で出世を遂げ、PKO(国連平和維持活動)担当事務次長から国連事務総長になった人物である。また、スウェーデン出身の弁護士と結婚し、引退後もスイスに居住するなど、西側諸国の価値観を十分に理解した、初のサハラ砂漠以南出身の黒人事務総長である。

唯一の国連職員出身事務総長

 現在のアントニオ・グテーレス国連事務総長まで9人の事務総長がいるが、いずれも事務総長になる前の経歴が国連大使、外相、首相、大統領であり、アナンは唯一国連職員から事務総長になった人物である(グテーレスはポルトガル首相から国連難民高等弁務官を経ているので国際機関の経験はあるが職員としての勤務経験はない)。その意味では、国連事務総長として、国連の組織を最もよく知り、国連に何が出来て何が出来ないかを最も良く把握していた事務総長であったと言える。

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