報道陣を振り切るように法廷へ向かうトニー
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 かつて「中東のパリ」と評されていた地中海の街ベイルート。1943年にレバノンがフランスから独立すると、首都となったベイルートには美しい街並みや海岸を目当てに観光客が押し寄せ、リゾート地として栄えたという。

 だが、シリア、イスラエル、パレスチナに囲まれた小国が、彼らの争いに巻き込まれないはずがなかった。イスラエルを追われたPLO(パレスチナ解放機構)を受け入れたことで、レバノン国内にパレスチナ難民が流入。キリスト教とイスラーム教の宗派対立に辛うじて安定をもたらしていたバランスが崩れ、1975年に内戦が勃発した。シリア、イスラエル、ヨルダンのみならず欧米諸国も介入し、1990年にようやく終結した頃には、ベイルートは壊滅的な被害を受けていた。

 復興が進む今も、内戦の爪痕が色濃く残っている。難民キャンプで暮らすパレスチナ人は、国籍も市民権も与えられず、厳しい就労制限の下、隠れて働いたりしている。そして、そんな彼らを「災いの元」と見做し、苦々しく思っている多くのキリスト教徒がいる。形式上、内戦は終わったとはいえ、今も彼らの心の中では感情的なしこりが解消されないまま残り、怒りが燻り続けているのである。

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