レバノン「キリスト教徒」「ムスリム」の大論争  映画『判決、ふたつの希望』監督インタビュー

執筆者:フォーサイト編集部 2018年8月31日
エリア: 中東
報道陣を振り切るように法廷へ向かうトニー
PHOTO (C) TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL

 

 かつて「中東のパリ」と評されていた地中海の街ベイルート。1943年にレバノンがフランスから独立すると、首都となったベイルートには美しい街並みや海岸を目当てに観光客が押し寄せ、リゾート地として栄えたという。

 だが、シリア、イスラエル、パレスチナに囲まれた小国が、彼らの争いに巻き込まれないはずがなかった。イスラエルを追われたPLO(パレスチナ解放機構)を受け入れたことで、レバノン国内にパレスチナ難民が流入。キリスト教とイスラーム教の宗派対立に辛うじて安定をもたらしていたバランスが崩れ、1975年に内戦が勃発した。シリア、イスラエル、ヨルダンのみならず欧米諸国も介入し、1990年にようやく終結した頃には、ベイルートは壊滅的な被害を受けていた。

カテゴリ: 政治 社会 カルチャー
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