1999年12月31日、クレムリンで言葉を交わすエリツィン露大統領(左)とプーチン首相(いずれも当時)。この日、エリツィン大統領はその職を辞した (C)AFP=時事

 

 米アーカンソー州リトルロックにある「クリントン大統領図書館」はこのほど、ビル・クリントン元米大統領が在任中にボリス・エリツィン露大統領(当時)と行った会談記録など約1000ページの機密指定を解除し、ネット上で公開した

 米露協調時代に個人的親交を重ねた両首脳は、1993~99年の7年間に計18回の会談、56回の電話協議を行っており、その記録が解禁となった。ウラジーミル・プーチン露大統領の後継指名に関するやりとりもあり、ロシア側は一方的な公開に反発している。唐突な文書公開は、プーチン政権へのクリントン夫妻の抵抗ともとれる。

「プーチンは民主主義者」

 文書によれば、エリツィンがクリントンにプーチンを後継者に決めたと伝えたのは、1999年9月8日の電話会談だった。エリツィンは、「長い間、2000年の大統領に誰がいいか考えてきたが、適当な候補はいなかった。しかし、遂にプーチンを見つけた。彼の略歴や関心、周辺の人物などを調べたが、いろいろな問題を着実に処理できる硬派の人材だ。同時に、綿密で強く、社交性もある。あなたと良いパートナーになるだろう」と伝えた。クリントンは、数日後にニュージーランドでのアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議でプーチンと会うことになっていると答えた。

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