「秦氏」の恨み鎮魂の神事だった「猿楽」

執筆者:関裕二2018年9月7日
険しい形相は鬼のごとしであった(文化庁HPより)

 

 能楽笛方の第一人者・藤田六郎兵衛(ふじたろくろびょうえ)氏が8月、亡くなられた。訃報に接し、言葉を失った。64歳は、あまりにも若い。

 藤田六郎兵衛氏らが中心となって毎年奈良県吉野郡大淀町で開いておられる能楽座公演が楽しみだった。開演前の慌ただしい中、楽屋を訪ねても、丁寧に対応してくださった。あの穏やかな笑顔が、忘れられない。

 藤田六郎兵衛氏は笛を奏でる瞬間、鬼の形相になる。怨念を抱いた神が憑依したのではないかと思えるほど、恐ろしい顔になる。そして、研ぎ澄まされた音色が、観る者を一瞬で別世界に誘ってしまう。あの、迫力。あの神秘の時間を、二度と味わえないと思うと、じつに寂しい。

 ちなみに、大淀町で毎年能楽座公演が開かれているのは、猿楽(明治時代に能楽と呼ばれるようになった)の一座・桧垣本(ひがいもと)猿楽発祥の地が、大淀町桧垣本の八幡神社だったからだ。また、笛方「藤田流」の芸祖に、桧垣本の名前があって、大淀町は藤田六郎兵衛氏と深い縁で結ばれていた。そこで、亡き人を偲び、猿楽の歴史をひもといておこう。

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