ローマ――王政から帝政へ

執筆者:岡本隆司2018年9月15日
ローマ帝政への道を切り開いたカエサル(ニコラ・クストゥ作、ルーヴル美術館蔵)

 

 ヨーロッパの源流は何といっても、ローマ帝国である。西欧の近代は、古典古代・ローマの「文藝復興(ルネサンス)」からはじまった。近代化とは一面、古代ローマをなぞって復活させてゆくことである。

 だからこそ、ルネサンスはローマの古典を研究したし、グランド・ツアーはローマのあるイタリアをめざした。いま最も見やすい例でいえば、最古の近代国家のアメリカに、どれほどローマ時代風の建築の多いことか。アメリカの上院Senateも、ローマの元老院Senatusにほかならない。

ローマ・モデル

 逆にいえば、現代につながる近代が、ことさらローマを選んで、そのようにローマを位置づけたからこそ、西欧のいわゆる「古典古代」がローマ帝国だったわけである。だから、まったくの異邦人たる筆者は、客観的にながめて、そうしたローマの位置づけには、いささかの疑義を禁じ得ない。けれども当の西洋人が、そう信じ込んでいる。それを頑として曲げようとしないのだから、いかんともしがたい。

 歴史から見ても、西欧・欧米がそれを鞏固なアイデンティティとして、自分たちを作り上げ、しかも世界を制覇してきた事実は、厳然として存在する。そのためそうしたアイデンティティが、世界史と現代世界の概念をも定義づけてきた。

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