灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(9)

執筆者:佐野美和2018年9月17日
まだ髷を結っていた頃の藤原あき。正確な撮影年は不詳。この後、あきは波瀾万丈の人生を送ることになる(自伝『雨だれのうた』(酣燈社)より)

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 政の中心が京都から東京へと変わり、文明が開かれ、工業をはじめとした経済の大発展をとげた「明治」の主役は、男だった。そして「大正」へと元号が代わり、維新以後走り続けてきた男たちが、一瞬立ち止まってみた隙に、「次の時代の主役は私たちよ」といわんばかりの、少しばかりお洒落をした女性たちが街へ繰り出した。

 中上川あきは、矢がすりのお召ちりめんの着物に、赤地の六寸巾の帯で街へ繰り出す。お抱え車夫が引く人力車で、永田町の家から新橋のたもとまで乗りつけて、銀座4丁目の先までぶらつき、日本で初めてアイスクリームを売ったという「函館屋」でアイスクリームを食べる。

 中上川家の御用達は、銀座では時計・貴金属の「服部時計店」か「丸嘉商店」だったが、少女のあきにはまだ面白くないところだ。それよりも銀座3丁目に「和漢洋文房具・STATIONERY 」と看板を掲げる「伊東屋」で文房具や絵葉書を買うのが何よりの楽しみだ。

 伊東屋の店頭には、何百種類もの絵葉書が陳列されている。長い時間をかけて、いとこや友人たちにしたためる絵葉書を20枚ほど選ぶ。

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