言うだけは言うが、本当に実行するかどうかは別問題(C)AFP=時事

 

 筆者がテヘラン勤務をしていた1996年から98年、イランは極度の外貨不足に苦しめられており、物品の輸入量が大幅に減少していた。商社としての仕事も、原油や絨毯など、イランからの輸出は問題ないが、鉄鋼製品、化学品、機械部品、あるいはタイヤやタバコなどの物資の輸入は困窮を極めていた。ある物品の輸入契約をしたものの「中央銀行から外貨割り当てが得られること」を条件とせざるを得ないため、契約がなかなか履行されず、だいぶ時間が経って、該当商品の市況が高騰し、契約価格より高くなったときに「外貨割り当てが得られた」として、賢いバザール商人に契約履行を迫られるなど、翻弄されることが多々あった。

 このように商売環境が苦しい時期に、歌舞音曲厳禁、非イスラム教徒である我々日本人駐在員もイスラム教徒と同じ生活を強いられるイラン勤務を共にした仲間たちとは、一種の「戦友意識」でつながっており、20年近く経ったいまも折に触れ、集まっては喧々諤々の議論をしている。

 次回は、筆者たちとの困難な時間を共有したあと、さらに2度のテヘラン勤務をしたG君の「卒業」祝いに集まることになっている。

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