国家の収入源は資源輸出が大半なのだが……

 

 これも歴史の皮肉の1つなのだろうか。

 1928年に締結された「赤線協定」(「トルコ石油」に進出する際、当時の国際石油開発会社同士が域内での競争を制限するために設けた取り決め)の域内にあったため、大成功が約束されていたメソポタミア(現イラクの一部)での石油開発に参加できなかった「カリフォルニア・スタンダード石油(ソーカル)」(現在の「シェブロン」)が1932年、バーレーンで油田を発見した。湾岸域内では最初の油田発見である。ついで翌年、地質的繋がりがあると見なされた、バーレーンの対岸に位置するサウジアラビア(以下サウジ)の東部地域で油田を発見したのも「ソーカル」だった。

「ソーカル」によるバーレーンでの石油発見は、ちょうど第3次サウジ王朝が「サウジアラビア王国」の建国を宣言した年だ。「ソーカル」はその後、サウジのアブドゥルアズィーズ・イブン・サウード国王から石油利権を獲得し、1938年にダンマン油田を発見した。これがサウジの大油田発見の序章だった。

 ほぼ100年後の今日、バーレーンは財政危機に苦しんでいる。2017年の財政赤字はGDP(国内総生産)の14%に達し、債務はGDPの90%にまで増大しており、格付け会社は同国の国債を「ジャンク債」と評価しているような状況だ。今では大産油国となった近隣のサウジ、UAE(アラブ首長国連邦)およびクウェートからの財政支援が実行されるのを心待ちにしている状況なのである(『フィナンシャル・タイムズ』(FT)「Bahrain awaits cash injection from Gulf neighbours」東京時間2018年10月4日12時頃掲載)。

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