岩瀬昇のエネルギー通信 (80)

「新発見油田」にすがるしかない財政破綻「バーレーン」の悲痛な叫び

国家の収入源は資源輸出が大半なのだが……

 

 これも歴史の皮肉の1つなのだろうか。

 1928年に締結された「赤線協定」(「トルコ石油」に進出する際、当時の国際石油開発会社同士が域内での競争を制限するために設けた取り決め)の域内にあったため、大成功が約束されていたメソポタミア(現イラクの一部)での石油開発に参加できなかった「カリフォルニア・スタンダード石油(ソーカル)」(現在の「シェブロン」)が1932年、バーレーンで油田を発見した。湾岸域内では最初の油田発見である。ついで翌年、地質的繋がりがあると見なされた、バーレーンの対岸に位置するサウジアラビア(以下サウジ)の東部地域で油田を発見したのも「ソーカル」だった。

フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
岩瀬昇(いわせのぼる) 1948年、埼玉県生まれ。エネルギーアナリスト。浦和高校、東京大学法学部卒業。71年三井物産入社、2002年三井石油開発に出向、10年常務執行役員、12年顧問。三井物産入社以来、香港、台北、2度のロンドン、ニューヨーク、テヘラン、バンコクの延べ21年間にわたる海外勤務を含め、一貫してエネルギー関連業務に従事。14年6月に三井石油開発退職後は、新興国・エネルギー関連の勉強会「金曜懇話会」代表世話人として、後進の育成、講演・執筆活動を続けている。著書に『石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか?  エネルギー情報学入門』(文春新書) 、『日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか』 (同)、『原油暴落の謎を解く』(同)、最新刊に『超エネルギー地政学 アメリカ・ロシア・中東編』(エネルギーフォーラム)がある。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top