まことの弱法師(30)

執筆者:徳岡孝夫2018年10月7日

 米国での話に戻る。英語で書いて送り、原稿料を取る。簡単そうだが私の原稿は少しも売れなかった。教室では教授は「いい原稿」とはどういうものかを教える。日本の専門学校とどこが違うと問うだろうが、その間にジャーナリズムとは何か、ジェームズ・レストンはどのようにして大記者になったかなどを話す。みなジャーナリズムの根幹にかかわる話である。

 結局私の原稿は1つか2つの業界紙に採用されただけだが、ジャーナリズムについて考えさせられる授業だった。

 この時の教育を実際に活かす機会は、この20年後に来た。それはベトナム戦争最後の1日を書いたことである。

 サイゴン支局で打ち合わせた通り私はボート・ピープルを取材しながら米軍ヘリでサイゴンを脱出し、米第7艦隊の空母ハンコックからさらにヘリで米第7艦隊の旗艦ブルーリッジに移った。

 連絡将校に「原稿を送れるか」と問うと「今の救出作戦が一段落すれば電信室から送ってやる。ただし英文に限る」という返事。軍艦上から、作戦終了後にと当然の要求である。私は部屋にあった大型のタイプライターに向かってサイゴン脱出後の見聞を打ち、それを連絡将校に渡した。

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