近鉄奈良駅前の行基像(筆者撮影、以下同)
 

 行基(ぎょうき)さん1350歳の記念行事が、奈良市内で行われている。奈良時代に約1万人の信者が都の東の丘で集会を開いたと『続日本紀』に記録されているが、今月(10月)、奈良公園の飛火野(とぶひの、奈良市春日野町)でそれを再現するそうだ。で、そもそも、行基さんって、何をやった人?

 行基さんは、天智7年(668)に河内(のちに和泉)国大鳥郡(大阪府堺市西区家原寺町=えばらじちょう)で生まれた。百済系渡来人の末裔・高志(こし)氏の出だ。

 天武11年(682)に出家し、法相宗の学僧・道昭(どうしょう)を師と仰ぎ、修行に励んだ。道昭は慈善事業にいそしんだが、行基さんも慶雲元年(704)ごろから、師の事業を継承している。この時代、税は自分で都まで運ばねばならなかったから、途中で行き倒れになり、逃走する者も少なくなかった。そこで行基さんは、道を整備し、橋をかけ、舟を造り、布施屋(無料の宿泊、給食施設)を設け、井戸を掘り、貧しい者、病む者に優しく手をさしのべた。当然人びとは行基さんを慕い、多くの優婆塞(うばそく、出家していない民間の信仰者)や知識(労力や財を提供する信者)に支持されるようになった。

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