内閣改造を四日後に控えた七月二十八日夕、東京・芝公園のホテル「ザ・プリンスパークタワー東京」で、北京五輪に出場する日本選手団の壮行会が開かれた。選手たちは登壇して開会を待っていたが、午後六時十分の定刻をすぎても来賓としてあいさつするはずの福田康夫首相が現れない。首相を出迎えに行ったため、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恆和会長も不在。選手団は壇上で立ちつくすことになった。 機転を利かせた司会者が卓球の福原愛選手に話題を振り、野球監督の星野仙一氏も気を遣ってマイクを握ったものの、どうにも間が持たない。何とも言えない白けた時間が流れ、福田首相がようやく姿を見せたのは約十五分後。こういうときの十五分は長く感じるものだ。会場は気まずい雰囲気に包まれた。 その会場内の雰囲気をすくいとって、自らのスピーチで不満をぶちまけたのが、乾杯の発声役を務めた日本体育協会会長でもある森喜朗元首相だった。「乾杯をさせて頂きますが、結構待たされたものですから、その分だけしゃべろうかな」と話し始めた森氏。壮行会の進行が遅れたことについて、「オリンピックでは出走時間に遅れるとレースには出られない」と皮肉を利かせて、会場を沸かせた後、「(竹田)会長は総理を出迎えるために遅れたそうですが、お迎えは水野正人副会長でいいのではないか。せっかく盛り上がっていたのに、いい雰囲気なのに、これじゃ壮行会にならない!」と語気を強めた。

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