灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(13)
2018年10月14日
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「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ」
竹久夢二作詞の流行歌の一節を、あきはひとり口ずさんでみる。
自分は、いったい誰を待っているのであろう。
二十代の健康な肉体に、全身にわたるハリのある肌、毎日鏡の前に座り施す化粧はぴたりと肌に吸いつき、赤い紅で仕上げれば匂い立つように美しいと、自分では思う。
しかし周囲の目は厳しく、結婚の夢に敗れた「出戻り」だとさげすまれているようだ。
結婚し子供を産み育てることが女性のすべてとされていた時代、別居などというのは人生失格者の烙印を押されたことになる。
周囲が何と言おうと構わない。夫に三行半をつきつけて、自分の意思で家を出てきたのである。こんな誉れなことがあるものか。気分が良い時はこう強気に思えるが、風邪をひいたり月のもので体調が思わしくない時は、自己嫌悪に陥る。
家族は大家族で支え合い食事を共にし効率よく生活をしていくのが当たり前の世の中で、いくら東京中を探しても女ひとり幼い子供と生活しているのは自分くらいでないのかと、むしょうに淋しくなる。
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