サウジ側は「殺害」を認めつつも現場の暴走ということで収めようとしているのでは、との観測も出ているが(ハーショクジー氏)(C)AFP=時事

 

 先日、若い人と話をする機会があった。「次に書きたいものは何ですか?」と尋ねられたので、成毛眞さんからの宿題となっている「IJPC(イラン日本石油化学)とは何だったのか」を書きたいと思っている、と応えたら、「IJPCって何ですか」と素直に聞かれた。

「IJPC」を知らなければ、「IJPCとは何だったのか」という設問もまったく意味を持たない。「IJPC」も、忘れ去られていく歴史のひとコマになってしまったのだろうか。

 その彼に聞きそこねたが、「オイルショック」のことは知っているのだろうか?

 日本で「オイルショック」と言えば、「トイレットペーパー騒動」として覚えておられる方も多いだろう。あるいは「狂乱物価」という言葉を思い出す人もいるだろうか。初めての経験に日本全体が完全に浮き足だってしまった事件だった。

 徹底的に打ちのめされた戦災の焼け跡から不死鳥のごとく立ち直った日本経済を支えたのは、安価で、潤沢な供給に支えられた石油だった。ほぼ100%輸入に依存していたが、かの「アラビア石油」スタート時には、時の石油問題の権威、脇村義太郎・東京大学経済学部教授も「輸入で十分、リスクの高い探鉱に、技術力も資金力もない日本が挑む必然性はまったくない」と反対したほどだった。それほど世界の供給量に対する安心感に満ちていた時代だったのだ。

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