まことの弱法師(31)

執筆者:徳岡孝夫2018年10月20日

 偶然知り合った高校生と「この子には見所がある」と見抜いた祖母、幼稚園で同窓の仲だった女の子と彼との結婚、新制と旧制の切り替え時、以上の偶然が「太閤の町」大阪の市長を生んだ。その大阪で私の長男・洋介は無事誕生した。父からの母子とも健全の電報で知ったが私は留学の身、会いに行こうにも行けなかった。

 話を留学中のことに戻そう。感謝祭が終わり、クリスマスを控えてシラキュースは冬を迎えた。

 ただの冬ではない。豪雪の町である。五大湖の上を吹いて来た冬の風が町を包む。道を行く車の音が消え、変って融雪剤を踏む音がする。シラキュースは日本の札幌と並んで、豪雪の中に立つ世界でも数少ない都会だろう。

 大学院生の寮を出て3人同居の一軒家に移った時、同室のロスとその友人トムに「日本大使館に移ったら、すき焼きという料理を食べさせてやる」と約束していた。肉屋で薄切り肉を買い、葱やきのこも揃えてすき焼きの準備をした。

 ところが約束の時間が来てもロスもトムも姿を見せない。不審に思って表を見ると一張羅のジャケットを着た2人がしきりに番地を探している。

 「おーい、ここだここだ」

 私が冗談に日本大使館と言うのを聞いて本気で大使館と信じたらしい。大学院生にもなって雪国の町に大使館があると信じる。その無知に私は呆れた。部屋の擦り切れたカーペットに電気コンロを置き、座布団も省略して彼らに生まれて初めての和食を振舞った。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。