皇帝の併存

執筆者:岡本隆司2018年10月27日
フランク人の王カールがローマ皇帝に即位したことから、西欧世界が形づくられていった

 

 西暦800年のクリスマスの日、フランク人・ランゴバルド人の王(rex Francorum et Langobardorum)カールは、ローマのサン・ピエトロ大聖堂で、教皇レオ3世から戴冠を受け、ローマ皇帝の位に即いた。カールは以後、カール大帝・シャルルマーニュといわれ、また「ヨーロッパの父」とも称せられる。

西欧の成立

 フランク族はライン川を越え、ガリア北部から西方・南方に勢力を拡大した。地中海世界からみれば、最も辺縁遠隔の地から、次第に近づいてきた恰好になる。また他の多くのゲルマン系移民集団とは異なって、異端と認定されたアリウス派を信奉しなかった。そのためローマ教会の「蛮族」に対する伝道活動の進展とあいまって、提携する方向がさだまってきた。

 それでも「蛮族」の君主とローマ教皇の提携、そしてローマ帝権・「帝国」の再興・革新と、君主号の改編までいきつくには、やはり大きな契機が必要だった。それがイタリアに居坐って、ローマ教会を尊重しなかったランゴバルド族の処遇である。

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