中世からナポレオンへ

執筆者:岡本隆司2018年11月10日
「太陽王」と称された、フランスのルイ14世。確かに欧州の中心で輝いてはいたが、全体を統合していたわけではなかった

 

 アウグストゥスが一体化したローマの「帝国インペリウム」は、ディオクレティアヌス以降、多元化の様相を強め、ついに皇帝並立の体制が定着した。そのインペリウム・皇帝がキリスト教と一体となっても、その多元化はとどまらない。ローマ教会は独自のローマ皇帝を擁立しつつ、なおかつ自らローマ皇帝の正統な後継者を以て任じた。

中世と多元化の深まり

 そのローマ皇帝を戴く地域は、ひとまずドイツ・イタリアである。しかし西隣のフランスのroi王も、自らを「皇帝」に比擬し、実在の神聖ローマ皇帝やローマ教皇との争いを辞さなかった。もちろんローマ教会の埒外には、古代ローマの正統ながらギリシア化した東ローマが存在する。

 さて西欧の中世は、そうしたローマの、いわば跡目争いばかりではない。その外縁では、ゲルマン系・ノルマン系のあらたな国々が、やはりシャルルマーニュ「帝国」三分のころから、産声を上げはじめる。スウェーデンやノルウェーなど、あるいはイングランドもそこに含めてよい。

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