1978年から40周年を迎えた深圳市。改革開放の父、鄧小平を称える肖像画の前で記念写真をとる中国人(筆者撮影)

 

 中国の習近平政権は発足後、「中国の夢(中華民族の復興の夢)」というスローガンを掲げ、今世紀半ばには米国を凌ぐ一流強国を目指す政策を国内外に宣言したが、それが覇権国・米国の強い危機感を生み、先端技術導入に障害が生じている。

 一方で、毛沢東時代を彷彿とさせる習近平国家主席自身の権威化と国内の締め付け路線に、「時代が後退している」との批判を浴びている。こうした批判は、党中央を取り巻く周辺の権力層からも少なくない。

 筆者はこのほど中国北部、南部を訪れ、米中間選挙後の習近平政権の方向性について議論してきた。

 基本的方針は、おおまかに3つに収斂されている。方針の背景には、当然のことながら米中関係の構造的対立が横たわるが、政権に対する批判を抑えこみ、習近平主席の権威を傷つけまいとする狙いが透けて見える。対外的には、「低調」(控えめで謙虚に目立たないように振る舞うという意味の中国語)路線が基調という。

方針1:米国とは「新冷戦」を避け『低調』で

「振り返ると、リーマンショックで『米国を軸とする西側モデルの限界が見えた』との考えが党中央を染めたのだ。特に習近平政権に代わって以降、東シナ海では日本と、南シナ海では米国や東南アジアと対立を繰り返した。中国は知的財産権(米国側は窃盗と表現)の問題も含めて強硬路線をとりすぎた。(技術面で)実力もないのにあたかも米国を追い越せるとばかりの宣伝が米国の強い警戒を生んでしまった。言葉はきついが、政権に驕りがあったと思う」

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