今年11月に開催された「国交樹立30周年」記念レセプションでスピーチをするピーター・マーティン・クリスチャン大統領

 

 ジョン・フリッツ駐日ミクロネシア連邦大使(58)が東海大学政治経済学部経済学科に在籍していた1984年、東京・六本木にミクロネシア連邦の連絡事務所が開設され、国交樹立に向けた協議が始まった。

「建国はしたけれども、まだアメリカから独立を認められていないという難しい立場でしたが、当時のナカヤマ大統領がそれでも日本との関係を大事にしたい、と開設を決めました。現在、泉屋博古館という美術館がある場所にビルが建っていて、その一室が連絡事務所でした。大学生だった私は、授業がない時は必ず行き、実習生としていろいろな手伝いをしたものです」

戦時中に海に沈んだ「遺物」はダイビングの「名所」になっている(ミクロネシア連邦政府提供)

 ミクロネシア連邦が最初に連絡事務所を開設した国が、日本だった。両国の深い繋がりを考えれば当たり前のようにも思えるが、過去の遺恨はなかったのだろうか。

「基本的に日本との関係は良好ですが、戦前に日本の統治が30年間続いたという歴史があることは確かなので、当時の国民の100%が日本を無条件に受け入れられると思っていたのかと言ったら、そうではありません。戦前のことが心のどこかに残っている人もいる。国交樹立に向けて最も頭を悩ませたのは、そういう人たちにどう説明し、理解してもらうかということでした。なるべく過去の問題などの後ろ向きな話はせず、日本との経済関係という未来志向のポジティブな話をして、少しずつ理解を得ていったのです」

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