国交樹立30周年「日本」と「ミクロネシア連邦」の架け橋となった「日系人」の物語(下)

執筆者:フォーサイト編集部 2018年11月20日
タグ: アメリカ 日本
エリア: アジア オセアニア
今年11月に開催された「国交樹立30周年」記念レセプションでスピーチをするピーター・マーティン・クリスチャン大統領

 

 ジョン・フリッツ駐日ミクロネシア連邦大使(58)が東海大学政治経済学部経済学科に在籍していた1984年、東京・六本木にミクロネシア連邦の連絡事務所が開設され、国交樹立に向けた協議が始まった。

「建国はしたけれども、まだアメリカから独立を認められていないという難しい立場でしたが、当時のナカヤマ大統領がそれでも日本との関係を大事にしたい、と開設を決めました。現在、泉屋博古館という美術館がある場所にビルが建っていて、その一室が連絡事務所でした。大学生だった私は、授業がない時は必ず行き、実習生としていろいろな手伝いをしたものです」

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