王から皇帝へ

執筆者:岡本隆司2018年11月24日
ヨーロッパを席巻したナポレオンは「皇帝」に就いたが――

 

 前後20年近くにおよぶナポレオンの興亡は、中世から近世にわたるヨーロッパ史の全過程をいわばくりかえした縮図だろうか。ハプスブルク家を中心とする対仏大同盟との対決は、さながらローマ皇帝争奪の継続にして再演だった。勝ち抜いたナポレオンは、名実ともに全欧を制覇し、「皇帝」の名にふさわしい版図を有する。ルイ14世でもできなかった偉業にまちがいはない。

フランスの場合

 ところがナポレオンは、その支配に反抗する動きをとどめることができなかった。その「帝国」は「諸国民」の戦いで瓦解して、多元的な国民国家の並立体制が、ウィーン会議で最終的に確立する。

 即位したナポレオン自身も、矛盾した「皇帝」だった。かれの称号は「フランス人の皇帝Empereur des Français」である。皇帝というユニヴァーサルな存在でありながら、フランス人という一国の国民と不可分だった。それは「王国内における皇帝」でしかなかった歴史的な所産でもある。

 しかし皇帝ナポレオンは、ハプスブルク家から皇妃を迎え、生まれた息子に皇太子さながら「ローマ王」の称号を与えた。時代がかった神聖ローマ帝国の慣行に倣うことで、ローマ皇帝の正統をうけつごうとしたのであろう。

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