米国は第2次世界大戦でも、そして冷戦のときも、欧州の「守護者」であり続けてきたが……(写真は1943年1月のカサブランカ会談。左から亡命政権「自由フランス」のジロー将軍、ルーズベルト米大統領、「自由フランス」のドゴール大佐、チャーチル英首相)(C)AFP=時事

 

 それは、まばゆいばかりの新天地だった――。

 コラムニストのサイモン・クーパー氏はスイス紙『ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング』でそう振り返る。

 1980年、クーパー少年は父に連れられてオランダからカリフォルニアのパロアルト市に移り住んだ。父はスタンフォード大学での1年間のサバティカル(在外研究)を終えたばかりだった。当時、少年は10歳。初めての米国だった。

「取り替え可能」だった米国社会

 少年がそこで見たのは、衝撃の世界だった。快活で幸せそうに人生を送っている人々は少年にやさしく、決して大きくはないパロアルトの町の生活は、少年にとり極めて快適だった。人々の幸福感の根底にあったのが、当時の米国人が信じていた信条、即ち、「人生に不可能なことはない」ということだった。人は努力さえすれば社会の階段を這い上がり、成功を手にすることができる。それは決して夢物語でなく、すべての人に開かれた可能性なのだ。

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