灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(21)
2018年12月9日
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小学校には通わせてもらえず、母の菊と北新地で生活をする義江だが、この生活も長くは続かなかった。
ある時、梅田駅近くで畳屋をしている菊の兄の松之助がやってきた。菊となにやら話をして、義江はその晩から松之助の家に引きとられることになった。
女の一人身で我が子に出て行ってほしいとくれば、男が絡んでいることがほとんどかもしれない。
それが菊の琵琶芸者としての飛躍のための踏台なのか、身も心も溺れてしまったのかはわからないが、その浪曲師だという男は義江が居る時も度々出入りしていた。
伯父の松之助夫妻の家も貧しかった。畳屋というのは名ばかりで、いつも開店休業の状態だった。子供の義江の目から見ても松之助はいかにも遊び人風の着流しで、危うさのある人物だった。
松之助は義江を小学校に行かせようなどとは考えず、働かせて少しでも家計の足しにすることを考えた。
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