青谷上寺地遺跡から出土した人骨には「戦闘」の痕跡があった (C) 時事

 

 平成30(2018)年11月、偶然、日本人と渡来人にまつわるふたつのニュースが飛び込んできた。

渡来人の遺伝子と特有の建物跡

 ひとつは、青谷上寺地遺跡(あおやかみじち・いせき/鳥取県鳥取市青谷町)だ。出土した弥生時代後期後半(2世紀後半~3世紀)の約40体の人骨の遺伝子を調べたところ、ほとんどが渡来系だったという。日本人の成り立ちの解明につながる、と報道されている。

 そしてもうひとつは、奈良県高取町の市尾(いちお)カンデ遺跡だ。高取町教育委員会が、渡来人の建物跡16棟を発見したと発表した。また、出土した土器から、4世紀末から5世紀初めに最古の渡来系集団の入植が行われていた可能性が高まった。

 この建物跡は渡来人特有の「大壁」(おおかべ)と呼ばれる住居のもので、方形状の溝を掘り、柱を建て、土を塗って壁をつくる。1棟は国内最大級で、東西約14.5メートル、南北約13メートルだ。

 また、この地域からは、5世紀後半~8世紀末に渡来系が築いた同規模の建物群が複数みつかっていて、中には朝鮮半島から伝わった「オンドル(床暖房)」を備える棟もある。大勢の渡来人が密集して暮らしていたことが分かっている。

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