「帝国主義」

執筆者:岡本隆司2018年12月22日
「インペラトール」を称したロシアのツァーリ・ピョートル(1672~1725=左)と、オスマン帝国最盛期の皇帝スレイマン1世(1494~1566=右)

 

 しかしいかにイギリス人が嫌悪しようと、大陸に「帝国」が実在し、いずれ劣らぬ大国であった以上、ヨーロッパの国際政治は、「帝国」の関係を基軸として動く。次の時代を決定づけるのも、その帰趨だった。

東ローマの幻影――ロシアの場合

 地図の上で最も大きな存在は、ロシア帝国である。ロシアの「皇帝」も、やはりローマ皇帝のなれの果てだった。ただ同じローマ皇帝でも、ここまでみてきたローマ教会・シャルルマーニュの系統とはちがって、こちらは東ローマ/ビザンツである。

 上に述べたとおり、東ローマ帝国もつとに地中海世界を覆うような普遍性を失っていた。ローカル化・ギリシア化・正教化しつつ、版図のバルカン半島に移住定着したスラヴ系の勢力と関係を構築しつづけ、その命脈を保ったのである。

 もとより政治的・軍事的な実力は、もはや萎靡ふるわない。東ではトルコ系の勢力が伸長肉薄し、西からも十字軍の攻撃をうけ、衰退の一途をたどった。1453年にコンスタンティノープルが陥落すると、東ローマ/ビザンツの政権は、完全に消滅する。

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