
「インペラトール」を称したロシアのツァーリ・ピョートル(1672~1725=左)と、オスマン帝国最盛期の皇帝スレイマン1世(1494~1566=右)
しかしいかにイギリス人が嫌悪しようと、大陸に「帝国」が実在し、いずれ劣らぬ大国であった以上、ヨーロッパの国際政治は、「帝国」の関係を基軸として動く。次の時代を決定づけるのも、その帰趨だった。
東ローマの幻影――ロシアの場合
地図の上で最も大きな存在は、ロシア帝国である。ロシアの「皇帝」も、やはりローマ皇帝のなれの果てだった。ただ同じローマ皇帝でも、ここまでみてきたローマ教会・シャルルマーニュの系統とはちがって、こちらは東ローマ/ビザンツである。

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