
「大日本帝国」の「皇帝」であった、1941(昭和16)年8月の昭和天皇。この4年後、その両方が滅亡した (C)AFP=時事
自らに向けられた目に鈍感で、国際的な感覚に疎いというのは、どうやら日本史・日本人の拭いがたい習性のようである。「天皇」号を称した古代、「日本国王」を拒んだ中世、「大君」外交体制の近世、いずれもそうであった。
しかし近代日本は、「皇帝」号にせよ「帝国」号にせよ、外からの位置づけとその翻訳でできた国家のはずである。にもかかわらず、その歴史を忘れて、自らの習性になずんだことが、破滅を招来する結果になった。

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