
清朝の光緒帝(左)と、朝鮮国王の高宗(左)。いずれも東アジアが大きく変貌していく明治期に在位した
明治日本をめぐる東西の矛盾の様相は、君主号とその翻訳で最も端的にみてとれる。たとえば、消え去った「大君」をとりあげてみたい。
君主号の矛盾
欧米は当初から“His Majesty the Tycoon of Japan”と称した。majesty=majestasとはすでにみたとおり、至高の主権者を指す称号である。欧米はもとより「大君」をemperorとみなしていたし、emperorならmajestyとほぼ不可分だといってよい。

「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。
フォーサイト会員の方はここからログイン