
辛亥革命後、「中華民国」大総統となった袁世凱は、のち「中華帝国」皇帝に即位する。その袁に、日本は「二十一カ条要求」をつきつけた
東アジアの「大清帝国」は、あまりにも短命だった。1908年の「憲法大綱」から数年しかたたぬ辛亥革命で、1912年にあえなく滅亡したからである。「大清帝国」の「内閣総理大臣」袁世凱が、そこであらためて「中華民国」の「大総統(プレジデント)」に就任した。その袁世凱がまもなく帝制運動を試みて1915年末、皇帝に即位する。大清帝国ならぬ「中華帝国」が復活しかけたものの、それもけっきょく挫折した。

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