孤立する帝国

執筆者:岡本隆司2019年5月4日
辛亥革命後、「中華民国」大総統となった袁世凱は、のち「中華帝国」皇帝に即位する。その袁に、日本は「二十一カ条要求」をつきつけた

 

 東アジアの「大清帝国」は、あまりにも短命だった。1908年の「憲法大綱」から数年しかたたぬ辛亥革命で、1912年にあえなく滅亡したからである。「大清帝国」の「内閣総理大臣」袁世凱が、そこであらためて「中華民国」の「大総統(プレジデント)」に就任した。その袁世凱がまもなく帝制運動を試みて1915年末、皇帝に即位する。大清帝国ならぬ「中華帝国」が復活しかけたものの、それもけっきょく挫折した。

没落する「帝国」

 中国はこのようにめまぐるしい転変を経、共和国となって、現在に至る。何より従前の帝制をとりもなおさず悪政・圧制とみなす革命史観が定着したからであった。

 そうした歴史観は、中国・東アジアだけの問題ではない。第1次世界大戦を経過して、決定的になったからである。「帝国主義」の角逐のすえに勃発した第1次大戦は、数多の「皇帝」「帝国」の存在を否定する結果となった。それが袁世凱はじめ、中国の帝制復活の挫折とほぼ時を同じくしたのは、偶然の一致ではありながら、すこぶる象徴的だといえよう。

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