大日本帝国の滅亡

執筆者:岡本隆司2019年5月18日
「大日本帝国」の「皇帝」であった、1941(昭和16)年8月の昭和天皇。この4年後、その両方が滅亡した (C)AFP=時事

 

 自らに向けられた目に鈍感で、国際的な感覚に疎いというのは、どうやら日本史・日本人の拭いがたい習性のようである。「天皇」号を称した古代、「日本国王」を拒んだ中世、「大君」外交体制の近世、いずれもそうであった。

 しかし近代日本は、「皇帝」号にせよ「帝国」号にせよ、外からの位置づけとその翻訳でできた国家のはずである。にもかかわらず、その歴史を忘れて、自らの習性になずんだことが、破滅を招来する結果になった。

「大東亜戦争」と「皇国」史観

 もちろん当時の日本には、言い分もあろう。中国の愛国主義・民族主義が歴史的・法的に、すべて正当だったとはとても思えないし、アメリカの日本に対する輿論・圧迫は、一方的な善意・正義にもとづくだけに、日本人にとっては、いっそう理不尽だったといってよい。

 韓国併合の朝鮮「冊封」がすでにアナクロニズムながら、これには半島政権の内的論理に即していた一面もあった。客観的にはなお、情状酌量の余地があるかもしれない。いっそう度しがたいのは、1931年の満洲事変である。

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