カダフィ独裁政権が倒れて以後、リビアは東西に分裂した紛争状態が続いている

 

 ロンドンに勤務していた2000年11月、リビアの首都トリポリで国際投資会議が開催された。当時、国際社会から「制裁」を受けていたこともあり、リビアへの入国はきわめて難しかった。少々高い参加費だったが、払って会議に参加すれば入国ビザが発行されるというので、本社および三井石油開発の数人とともに参加した。

 リビアは、乗客・乗員全員259名、付近の住民11名、合計270人の犠牲者を出した1988年の「パンナム機爆破事件」の犯行責任を追及されており、国連安保理では再三の非難決議ならびに犯人引き渡しを要求する決議が行われていた。長いあいだ拒否し続けていたが、引き続く経済制裁の圧力により、指導者カダフィ大佐が犯人引き渡しに応じたのが1999年4月だった。

 三井物産もトリポリ支店を閉鎖しており、リビアとの仕事は皆無だったが、犯人引き渡しに応じたことから経済制裁も解除される見込みとなり、支店再開に備え、準備作業を開始していた。

 石油開発事業の観点からは、リビアには多くの有望な探鉱鉱区が残存しており、近々国際入札も計画されているとのことで、是非とも現地調査を行いたかった。パンナム機爆破事件以前から事業を推進している欧州系企業は、制裁中も生産事業を継続していたので、彼らの現地責任者との面談アポも手配してトリポリに向かった。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。