「金正日倒る」の複雑な状況曲線

執筆者:平井久志2008年10月号

「共和国創建六十周年を迎える今年を祖国青史に刻まれる歴史的な転換の年として輝かせよう」。北朝鮮の労働新聞などは今年元旦の共同社説で、九月九日の建国六十周年の意義をそう強調していた。北朝鮮はこの日までに米国からテロ支援国の指定解除を勝ち取り「歴史的な転換の年」であることを決定づけようとしていたとみられるが、結果的には最高指導者、金正日総書記の重病という予想もしなかった「転換」に直面することになってしまった。 これまでも金総書記が数十日間「雲隠れ」することは珍しくなかった。だが、九月九日の閲兵式に金総書記が姿を見せなかったため、重病説は一気に現実味を帯びた。「先軍政治」を掲げる金総書記が閲兵式に欠席するのは極めて異例だからだ。一九九一年十二月に最高司令官に就任して以来、翌九二年四月から昨年四月まで計十回あった閲兵式には一度も欠席していない。 今回の閲兵式でもうひとつ注目されたのは、金総書記に次ぐ軍トップの趙明禄国防委第一副委員長が一年四カ月ぶりに現れたことだ。長く腎臓病を患い健康悪化が伝えられていた。また、最近はあまり公式の場に出てこなかった長老格の李乙雪元帥も姿を見せた。趙氏や李氏が病身や高齢をおして出席し、金総書記の不在を埋めようとしたといえる。

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