菅原道真を祭神としてまつる北野天満宮(筆者撮影)

 

 毎年1月25日は「左遷の日」なのだそうだ。昌泰4年(901)のこの日に、平安京から大宰府に左遷させられた歴史上の人物がいた。それが、学問の神として名高い菅原道真である(受験シーズンに登場いただいたのは、何かの縁か?)。

幽閉されたまま憤死

 九州に赴くとき菅原道真が詠んだ次の歌は、あまりにも有名だ。

東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ

 左遷の憂き目に遭った人間の悲哀が、込められている。

 菅原道真は朝堂のNo.2右大臣だったが、大宰権帥(だざいのごんのそち)に格下げされ、九州に飛ばされた。今風に言えば、外務大臣を補佐する役目、といったところか。ただしこの人事、現代の常識では考えられないものだった。サラリーマンの左遷とは異なり、桁外れに苛酷なもので、菅原道真だけではなく、家族も散り散りになってしまった。菅原道真に仕事は与えられず、ほぼ罪人扱いで、牢獄のような場所に幽閉されたまま、憤死したのだった。要は、左遷という名の流刑である。

 いったい菅原道真は、どんな罪を犯したのだろう。

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