GMの命を奪った「虚妄の金融資本主義」

執筆者:新田賢吾2008年11月号

世界に冠たるゼネラル・モーターズが、創立百周年の今、破綻に瀕す。“金融の尺度”に身を委ね、モノづくりを忘れたがゆえに――。「どこで道を間違えてしまったのか」 世界の金融関係者は今、心の中でこう繰り返し問いかけているに違いない。昨年夏に表面化した米サブプライムローン問題は、焦げ付く恐れがあるハイリスク住宅ローン債権の小口証券化という局所的な問題から始まり、世界経済全体を揺るがし、一九二九年の「大恐慌」の再来が多くのビジネスマンの頭をよぎるほどの事態に発展した。上流ではささやかなせせらぎが、はるか下流では海と見まがうほどの大河になるように、金融ミクロの問題は関係者の想像もつかないほど巨大な金融危機に化けた。 だが、ここに至ったメカニズムは決して複雑なものではない。銀行業界や証券業界関係者が最近まで得意げに使い回していた「レバレッジ(梃子)」という言葉がひとつのカギだ。小さな力で重いモノを持ち上げる梃子のように、少ない資金を短期間に高い利回りで運用し、大金を得ようとする“マジック”が、レバレッジであった。 サブプライムローンは収入の額や安定性からみて、本来なら住宅取得には不適格な人たちにまでお金を貸し、住宅を取得させる金融手法だった。「今は収入が少なくても将来は増え、雇用も安定し、返済能力が着実に高まる」という健全な予想があれば必ずしも「不適格」とは言い切れないが、住宅価格上昇による資産価値の上昇をあてに返済を繰り延べ、さらに住宅が担保価値を増した分だけ借り入れを増額し、車の購入など消費に回すという発想は、まさにレバレッジを使ったマジックに踊らされた危険なものだった。

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