プノンペンに増え始めた高層ビルはすべて中国資本(筆者撮影)

 

 筆者は最近、大学の委託研究で35年ぶりにカンボジアの首都プノンペンを訪れたが、かつて見たポル・ポト政権崩壊後の「焼け跡」からすっかり復興し、活気にあふれていた。当時は原始資本主義のような混乱の中、ソ連人とベトナム人が市内を闊歩していたが、その影は一掃され、代わって中国人が大量進出していた。インドシナをめぐる国際環境は激変し、中国がカンボジアをどう改造するかが壮大な実験となりつつある。

イオンの隣の幽霊屋敷

 プノンペン南部の一等地に2014年にオープンした日本のスーパー「イオンモール」は、フードコートやシネマコンプレックス、ブランド店など日本と同じ作りで、平日もカンボジア人でごった返していた。巨大な2号店も郊外に誕生し、イオンはカンボジアで計5店の出店を計画している。

 このイオン1号店のすぐ隣がロシア大使館で、ともに10万平方メートル程度の広大な敷地だ。1979年にポル・ポト政権がベトナムによって倒され、ヘン・サムリン政権が誕生した後、ソ連がカンボジアの後ろ盾となり、約5000人のソ連人技術者らがカンボジアに進出、インフラ整備などにあたった。プノンペン駐在のソ連外交官は当時、「カンボジアはまだ社会主義志向国の段階だが、経済協力やイデオロギー協力を通じて、社会主義国に改造する」と話していた。熱帯のアジアに寒い国から来た技術者はさすがに違和感があった。

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