出雲の銅鐸。加茂岩倉遺跡(島根県雲南市加茂町)から、淡路島と同じように「入れ子式」で出土した(筆者提供)

 

 あまり古代史に詳しくない知己が唐突に「銅鐸を捨てたのは卑弥呼なのか」と訊いてきたので、「なんの話だ」と問い返すと、「テレビでやっていた」という。それは『NHK』の『歴史秘話ヒストリア』だった(「まぼろしの王国 銅鐸から読み解くニッポンのあけぼの」 2019年2月6日放送)。

 録画していたので、さっそく拝見。なるほど、そういうことか……。近畿や東海地方の銅鐸文化圏の人々が卑弥呼を共立し、祭器=銅鐸は銅鏡に入れ替わったという推理だ。

 うまくまとめてある。しかし、これが正解かというと、大いに疑問だ。そして恐ろしいのは、「権威」あるNHKが主張することで、多くの方が、番組内容を鵜呑みにしてしまうことだ。登場する少数の学者の仮説を、あたかも定説であるかのように語るのは、罪深い。そこで、番組の内容をかいつまんで説明して、問題点を拾い上げてみたい。

銅鐸消滅に卑弥呼が?

 銅鐸には謎がある。どのように使われていたのか、何を祈っていたのか、なぜ、弥生時代の終わりに銅鐸は消えたのか……。まずは、銅鐸の使用方法だ。

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